おわら風の盆の里・富山県に生まれ育ち、高校卒業とともに上京。東京浅草にある民謡酒場・和ノ家追分(かずのやおいわけ)で修行を積みながら三味線の腕を磨き、舞台の節々に胡弓で色を添える津軽三味線奏者の椿俊太郎(つばきしゅんたろう)さん。昨今はメディアへの出演も頻繁で、師匠である椿正範さんとともにNHKの民謡番組に出演する他、ソロでもNHK-FMの民謡番組や、美のカリスマikkoさんのディナーショーに出演、単独でもライブを行うなど、若手の和楽器奏者を代表する成長株となっている。津軽三味線奏者としての活躍が華々しいなか、故郷・富山を、そして、おわえら胡弓をこよなく愛する俊太郎さんに、およそ四半世紀のこれまでを振りかえるインタビュー。
インタビュー
民謡を習っていた姉の影響で、生まれて3カ月で三味線の稽古場に通っていた俊太郎さんは、気がついたら民謡大好き、という男の子だったとか。幼い頃の民謡や、胡弓との思い出話について聞いてみた。
胡弓を三味線代わりに弾いていた幼少期
胡弓との出会いは、実は、随分幼い頃でした。姉と一緒に通った民謡教室で、三味線代わりに弾いていたのがはじまりです(笑。おもちゃのアンパンマンギターの次に手にしたのが、胡弓だったのを覚えてます。
姉の影響で、母のお腹にいる時から民謡を聴いていて、生後3〜4カ月の頃からお稽古に連れて行かれた、と聞いてます。小学校に進学した頃に三味線を習いはじめて、胡弓は高校に入った頃に習いました。富山県は胡弓が入る民謡が多く、当時所属していた民謡の会に胡弓奏者がいなかったので、師匠から「若いんだから、やってみな」ってノリで、胡弓を渡されたのがきっかけ。でも、胡弓のお稽古に通ったのは1年くらいだったかなあ。同じ頃に津軽三味線を習いはじめたので、津軽三味線にも夢中になりました。こんなこと言ったらダメかもしれませんが、当時はあまり、胡弓に興味がありませんでしたねえ(笑。三味線の方が好きでしたから。
高校入学と同時にはじめたという津軽三味線で、みるみる実力をつけた俊太郎さんは、高校卒業後に上京。津軽三味線奏者・椿正範さんの内弟子に入りながら、東京浅草の民謡酒場・和ノ家追分の専属演奏者となった。そこから再び、胡弓とのつき合いがはじまる。
心から「胡弓やっててよかった!」
民謡酒場に勤めるにあたり「三味線以外で、何かできることない?」ということになるんです。三味線が弾けるのは当たり前として、例えば踊りを踊る、唄も歌うし笛も吹く、みたいに、みんな他に一芸を持っているんです。僕は富山の民謡は歌いましたけど「他に何か、できることはないか?」って考えたとき「胡弓だなっ!」と思いました。だから胡弓を本気でやりはじめたのは、上京してから。今となっては心から「胡弓やっててよかったなっ」て思いますね。胡弓はなんていうか、必殺技じゃないですけど、秘密兵器になりますよね。今のところ、やっている人がほどんど居ませんから。
高校卒業と同時に上京してから、実は苦難の連続だった俊太郎さん。上京した年の年末に、勤務先の追分が一時閉店。約半年後に新店舗が再開するも、1年も経たずしてコロナ禍に見舞われ、そこから約3年間、仕事がほぼない状態に。苦難の連続を、どう乗り越えてきたのだろうか。
俺、どうしようか? 苦難の日々も「耐えてよかった!」
追分が閉店したときは「俺、どうしようか?」と真剣に悩みました。上京して1年も経ってないのに「富山に帰るのかな?」と思ったときもありました。でも、富山を出る時にみんなが応援してくれたことを思い出して「今、帰るのは違うな」「でも、東京で就職っていうのもおかしいな」と思っているうちに、追分が新しくはじまると聞いて「もうちょっと踏ん張ってみるか」と思えるようになりました。
そして令和とともに新しい追分がはじまり「今からがんばるぞー」って時に、コロナがはじまりました。舞台も無いし、仕事も無い。やることがなかったから、家でずっと、昔の名人の音源を聞いて過ごしてました。コロナはいつ終わるか?わからなかったし、正直、ずっと道に迷っていました。でもありがたいことに内弟子だったので、面倒は全て師匠に見てもらえたんです。
コロナ禍が開けた時の舞台一発目は、今でも覚えてますね。その時のお客さんからの拍手が、めっちゃ嬉しかった。「いや〜耐えてよかった!」心から、そう思えました。上京してからずっと、まともに働けてなかったんですが、我慢して本当によかったと思います。あの時に諦めてたら、三味線も胡弓も、辞めていると思います。この先もう少し時間が経ったら「あの時の苦労があって良かったな〜」って思えるかもしれない。不安に耐えて、いろいろ迷って大変な思いをしながら、自分と向き合う貴重な時間、だったのかもしれません。
コロナ禍を乗り越えて、上京以来ようやく本格始動し活躍中の俊太郎さん。津軽三味線奏者として力強い三味線を響かせる一方で、舞台では胡弓を奏でるときも。津軽三味線と胡弓、そのバランスはどのようにとっているのだろうか。
他の人と何が違うか? 私にとってそれが胡弓
師匠・椿正範とともに作り上げる「椿祭」では、これまですべての舞台で胡弓を入れてますね。自分のソロコンサートも、胡弓は絶対に入れるようにします。コンサートや発表会などでゲストとしてお声掛けいただいた時も、ゲストに与えられた時間がそんなに長くなくても、たとえ5分でも、胡弓を入れます。津軽三味線って、ずっと聞いていたら、うるさい?というか音が大きいじゃないですか。その間に胡弓を入れたら、ちょっと耳の休憩になると思うのです。ステージに変化をつけるというか、メリハリをつけてくれる。僕が津軽三味線奏者である限りは、これからも胡弓は演奏していこうと思ってます。
自分のなかで今は、津軽三味線であると同時に、胡弓奏者、と言いたいくらいに力を入れてます。津軽三味線も生で聞く機会はあまりないかもしれませんが、胡弓はさらに少ない。そんな津軽三味線を聴きにきた人が、おまけに胡弓も聴けるっていう、両方とも聴けるのが椿俊太郎って思われるくらい、頑張れたらいいな。
胡弓も、津軽三味線と同じように、三つの糸、つまり三味線じゃないですか。同じ三味線だけど、一番大きな津軽三味線と、一番小さい三味線、つまり胡弓が、これだけ違って、同じ三味線なのに、こんなに音の幅があるんだよ、ということを僕のステージで伝えられたらいいですね。
富山出身の俊太郎さんにとって、胡弓といえばやはり、おわら風の盆が連想される。津軽三味線奏者・椿俊太郎さんは、胡弓の演奏を通して、ふるさと富山との関わりがより深くなっているようだ。
ステージ以上に緊張!? 風の盆のソロ街流し
風の盆の時期に、金沢市の方でお仕事があり、胡弓を持って行ったんです。そしたら、幼い頃からずっとお世話になっている長岡すみ子先生に「こっちにいるなら、胡弓持って遊びにおいで」って、風の盆に誘っていただいた。長岡先生とちょっとしたショーをご一緒させてもらった後に「せっかく風の盆に来てるんだから、流しておいで」ってなったんです。「いやいや、町の人じゃないから駄目でしょ?」と思いましたが、先生が背中を押してくれたので「行くしかないでしょ!」って、諏訪町を胡弓だけで流し演奏させていただきました。コンサートとかより全然緊張しましたね。
諏訪町という最高の舞台だったこともあり、50人くらいの人だかりができたかと思います。そのなかに、数10年風の盆に通ってるという方が「胡弓ひとりで流すのは、初めてみた。よかったよ」と褒めてくれたり、地元八尾の胡弓奏者と思われる年配の男性が「いいね」って、ひと声かけてくれました。町の人に認められた、というのが一番うれしかったですね。
富山の民謡は、こきりこ、麦屋、早麦屋、といちんさ、お小夜など、胡弓でひと通り弾きます。ライブで胡弓を弾くときは、民謡だけでなく、アメイジンググレースや童謡などゆったりとした曲からJポップスまで、色々と弾いて楽しんでいただきます。胡弓の魅力を知ってもらいたいと思って、色々な曲にトライしてます。
津軽三味線奏者の俊太郎さんから見る、胡弓の特長と魅力について話をうかがった。
胡弓は奏者の個性を全面に出せる
胡弓は奏者によって、音や表現が全く異なります。例えば、僕が弾いている津軽三味線を別の人が弾いても、僕に近い音が鳴りますが、僕の胡弓を別の人が弾くと、僕とはまったく違う音、つまり、その人の音になります。逆に言うと、誰かの胡弓を僕が弾くと、僕の音にすることができる。弓のあてる強さとバランスとか、ちょっとしたノウハウが人それぞれにあって、それぞれのメソッドがあればどの胡弓でも自分の音になるんです。楽器の良し悪しに関わらず、奏者の個性や表現を全面に出せるのが胡弓です。
単音で構成される三味線と違って、胡弓は、音を繋いでくれる。僕の勝手な考えですけど、胡弓の音を聴いて嫌がる日本人はいないと思います。どこかで聴いたことがある音だなって、日本人ならみんな感じると思う。それでいて、自分ならではの音が出せる。その点においては三味線より奥深い、と思います。だから難しさもあるけど、優しい音から激しい音まで、表現できる幅は胡弓のほうが絶対に広い。とはいえ、自分の胡弓の音はというと、出したい音にはほど遠い。津軽三味線以上に、遠い気がしています。
音が出しやすいのは三味線なんですよね。パッと持って撥で叩けば音は出る。胡弓は、さしあたり擦れば音は鳴るけど、その先が難しい。奥が深いぶん、楽しい。これほど多様性が叫ばれている時代において、まさに時代にふさわしい、その人を表現できる唯一無二の和楽器、それが胡弓だと思います。津軽三味線奏者なので大きな声では言えませんが、正直、三味線より胡弓の方が絶対面白いと思います。って、あくまで今の僕の意見ですけどね(笑。
基本情報
椿俊太郎(つばきしゅんたろう) 富山県高岡市出身・1999年12月1日生
問い合わせ ☎ 080-6366-6219
【Mail】 shuntaro1201@yahoo.co.jp
【HP】shuntaro-tsubaki.com
■教室情報
松戸、浅草、北千住、神楽坂、富山県内各地(出張)