ヨーロッパの擦弦楽器は、サイズによって
バイオリン < ビオラ < チェロ < コントラバス
と分類されます。その一方で、日本の擦弦楽器「胡弓」はサイズが違っても、みんな「胡弓」。
分類やサイズによって〇〇胡弓と通称は変われど、それってどういう意味?についてまとめます。
用途や時代によって変化
胡弓を分類する際に、以下の2つの観点が考えられます。
①用途による呼称
②サイズによる呼称
実は、同じ用途でもサイズが異なることが胡弓(に限らず和楽器全般)にはあります。とはいえ、わかりやすく分類するために、一旦②は置いておいて、①で分類。シンプルに3種類(+α)に分けます。
古典胡弓
江戸時代以来の胡弓の基本形。当時から受け継がれる伝統曲を演奏する際に使用されるもの。サイズは全長70〜75センチ前後で、ほかに比べて小さいことから、おしなべて「小胡弓」と通称されることもありますが、サイズには多少の差異があります。地唄や義太夫といった伝統芸能に取り組む人、また、何事も基本や伝統を踏まえたい方が手にするとよいでしょう。
おわら胡弓
富山県八尾町に江戸時代末期からあるとされる「越中おわら節」を演奏するために、古典胡弓から進化した胡弓。おわら節の愛好家らが胡弓に様々なアレンジを加え、結果的に現代音楽にも通じる汎用性の高い楽器として現代まで進化を続けています。サイズも形も弾き手によって異なり、様々なスタイルが存在しますが、20世紀末頃には、おわら胡弓としての完成形ができたとも考えられます。一般的に古典胡弓より大ぶりで、表面に四つ皮、裏面に犬皮を張ることで独特の共鳴を生み出します。(おわら胡弓について詳しくは、別のトピックにて)
宮城胡弓
日本の作曲家・箏曲家である宮城道雄(みやぎみちお、1894年/明治27年〜1956年/昭和31年)が開発した大ぶりの低音胡弓。他の胡弓よりもひとまわり大きく、そのサイズから一目瞭然。大胡弓とも呼ばれます。主に宮城道雄が作曲した合奏曲で使用されます。
写真左から「おわら胡弓」、宮城胡弓の開発者・宮城道雄(出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」)、沖縄の胡弓・クーチョー
番外編
天理胡弓
天理教の宗教儀式で使用されるもの。奉納やおつとめで演奏されるもので、サイズは古典胡弓に準じますが、流通量が多いからか、このサイズをおしなべて天理胡弓と呼称する人が多い気がします。
四弦胡弓
沖縄で使用される擦弦楽器に「クーチョー」がある。三線(サンシン)は沖縄人気や沖縄ポップスの普及によりよく知られるようになりましたが、その三線と同じように、胴に蛇皮を張ったもの。もともとは三線と同様に三弦だったようですが、四弦タイプが普及しています。一弦よりさらに低い音を加えたもので、プレイの音域を広げるものになっています。
このクーチョーと同じように、低音域を拡張した四弦胡弓を使用するプレイヤーに、木場大輔さんがいます。古典から現代音楽まで、幅広く演奏する木場さんによって、胡弓の新たな歴史がはじまる、かも。そんな可能性を感じる新しいタイプの胡弓になっています。
一方、三の糸を複絃(二本)にして、合計四本という胡弓が、江戸時代中期からありました。藤植(ふじうえ)流胡弓として、今日に受け継がれています。
サイズについて
古典胡弓と宮城胡弓は、いずれも地唄の世界で使用され、大きさによる違いから「小胡弓」「大胡弓」と呼び分けられています。地唄以外の世界では、(大胡弓が存在しないので)小胡弓のことをただただ「胡弓」と呼び、宗教行事で使われる場合は「天理胡弓」と呼ばれます。一方、おわら胡弓は「小」でも「大」でもないことから(他の2つとはジャンルが異なるので単純に比較して「中胡弓」とは呼ばずに)、「おわら胡弓」という特殊な名前で呼ばれています。三味線でいえば「津軽三味線」のようなものでしょうか。特異な進化を遂げているため、他の胡弓とは次元が異なる通称が冠せられた特別感のある胡弓となっています。
用途による違いで分類したというだけで、基本的な構造はどの胡弓も同じ。古典胡弓を基本としながらも、それぞれの用途によって、また時代によって試行と変化をくり返した結果、いくつかの分類が生まれた、と考えられます。
多様であって然るべき
胡弓と同じく三本の糸を使う三味線にも、色々な呼び方があります。長唄三味線、地唄三味線、義太夫三味線、津軽三味線…等、用途によって生まれた呼び方もあれば、細棹、中棹、太棹といった、大きさや形によって分類される呼び方もあります。「ややこしや〜」と思うこともありますが、これも日本の歴史を考えると当然のことなんですね。
わずか300年ほど前の江戸時代は、隣の県は違う国。異なる言語や習慣やシステムで暮らしていました。明治時代に同じ国になった後も、江戸時代までの呼び方や慣習が残って当然。そのため、三味線や胡弓にも、それぞれの地域によって異なるサイズや仕組み、呼び方があって、それらが習慣として今日に受け継がれている、というわけです。
胡弓に限らず、和楽器に取り組む際には、我が国にも江戸時代まであった、多様な暮らしのスタイルを前提に理解を進める、というスタンスが必要、といえます。
本来、音楽は多様であって、それを奏でる楽器にも多様なスタイルや呼び方があって然るべきなんですよね。それを日本の学校教育では、小学校に入った途端に「ドレミファソラシド」による授業や、古典クラシック絶対主義的な教えた方をするものだから、音楽の多様性が失われ「こうじゃなきゃ」いう考え方が潜在的に植え付けられてしまう日本人が多い、と思ってしまいます。楽器の名前も、サイズが違ったり、呼び方が異なったりすると混乱しちゃう?のではなく、そもそも、楽器も多様であって然るべき。胡弓のサイズや呼び名が色々あるのも、そういったこと、と考えると納得、ですよね?
↑「古典胡弓」と「宮城胡弓」は、同じ「胡弓」でも大きさはこれだけ違う。