石、椰子の実、被災地の木々、、など、様々な素材で胡弓をつくり、唯一無二の音で人々を魅了する音人さんは、胡弓奏者であると同時に、胡弓の源流となる民族楽器に明るい研究者でもある。
創作を裏付ける膨大な知識量と熱い情熱とは裏腹に、創作工房で行った取材では終始「〜でね」と優しく語りかけてくれた音人さん。
研究者ならではの難しい話もいろいろあるなか、わかりやすい部分だけを抜粋しました。その情熱に触れたい方は、ぜひご本人にアクセスください。
インタビュー
インタビューを行った名古屋市内の工房には、音人さん自身が創作した楽器がズラリ!! まずは片っぱしから、楽器についての説明を話をうかがった。
すべての擦弦楽器の原型は「棒」でこすって音を出す!?
(ひとつ取り出し)この楽器を「けいきん」といいます。バイオリンを含めたすべての擦弦楽器の原型なんですね。擦って(こすって)音を出す楽器の原型と言われています。何と!棒でこすって音を出すんですね。遊牧民が木の生えてない草原と砂漠地帯に行った時に、棒にする木がないので音が鳴らせないと困っていたところ、弓矢を使う民族だから、弓で音を鳴らしたのが今につながる「弓」の原点、という歴史がありますね。
アラビア・ペルシアを経由してヨーロッパでバイオリンになり、逆に東南アジアを通って東へ伝わったものが、中国の二胡、日本の胡弓になったという風にね。タイに「回転奏法」を使った楽器がありまして、それが沖縄のラヘイカになり、天正遣欧使節団が擦弦楽器を日本に持ち込んだ影響もあり、江戸後期に三味線型の胡弓、または、三味線を弓で奏でたというのが胡弓のルーツ、というのが僕は正しいと思ってます。
一弦胡弓に低音胡弓、トンコリまで
一方、この楽器はアイヌの「トンコリ」。指で弾くとされる楽器なんだけども、どうも弓で弾いたんじゃないか?という推測があって、それを再現したのがこちらの楽器。本当はもっと小さいんだけども、これでバッハのチェロ組曲が弾きたくて、ちょっと大きめに作ったんです(笑)。
あと、あれだな〜、アイヌの一弦胡弓を復活をさせて、スチール弦を張ってみたけど、いい音が出ますね〜(音人さん演奏♫)。結構優秀なんですよ、これ。ほとんどの曲がカバーできますね。めっちゃシンプルで、すごく安定してます。これにエレキのようにコイルをつけてエフェクターにつなげば、シンプルなんだけれども、どんな音でも出せます。
玲琴(れいきん)って楽器をご存知ですか?100年ぐらい前に考案されて、幻になってしまった低音胡弓なんですけどね。日本海の深い大きな波を表すには、胡弓の音域はちょっと高いので、中低音のいい音を出したいということで、チームを組んでやった楽器です(演奏♪)。1オクターブ低いですよね。これがほぼ滅びていたので、復活させましてね。弦はチェロの弦。木はね、東北の被災した松を使っているんですが、桐の木か、それから杉の木でも多分いい音が出ますね。こういうのを復活させたりします。
すべての楽器をご自宅の玄関で創作する!という音人さん。その原動力はどこから湧き上がってくるのだろうか?
滅びた音が僕の手によってよみがえる
失われた音とか、滅びた楽器を復活させ、良い音色に仕上げる、というのが僕のテーマ。いろいろとやっていくうちに、デザインがもっとあってもいいんじゃないかとか、いろいろと次のテーマや道標が出てくるじゃないですか。そうやって、どんどん追求したくなって、楽器を創作することが増えていきました。気づけば博物館並みなんだけど、そもそもは博物館にないものを作ろう、というのがテーマ。誰もやってない世界が、僕が関わることによってよみがえる。胡弓も、そういう思いからはじまりましたね。
「音の人」と書いて「ネヒト」。そこには、音を「創作する」人という意味が込められている。その芸名のルーツや活動の原点、現在に至るまでの創作や演奏に込める思いは?
世界中の音楽をやっていたら、日本にたどり着いた
1000年以上前になりますが、大江音人(おおえのおとんど)という貴族がいて、地元の神社の設立に関わっていらしたようなんです。平安時代初期から前期にかけての公卿であり、学者でもあったようで、これも何かの縁だろうと、そこから名前をお借りしたところから、芸能活動をはじめました。若い頃は教員をしながら音楽活動をしていたんですが、当時はまだ、胡弓を弾く人も珍しいということと、津軽三味線も弾いていたので、二刀流でなんとかやっていけるんじゃないか、ということで、音楽事務所を立ち上げましてね。有限会社音人ボーダーレスサウンドクリエイトと名前をつけて本格的にスタートしたのが、西暦の2000年のことです。
もともとね、マコンデというアフリカ彫刻が好きで、その流れでフラメンコやフォルクローレのバンドでギターを弾いていました。そうやって世界の音楽をやってるうちに、その国の人たちが自分たちの国の音楽を大事にしていることや、それを奏でる楽器を大切に守っていたり、さらには、滅びた楽器まで復元して演奏する姿に憧れて、「日本の楽器でも同じ道を!」とギターから津軽三味線に持ち変えたんですね。津軽三味線発祥の地である弘前の全国大会へ出場したり、地元のイベントに参加しながら腕を磨いているときにね、偶然、控室で出逢った年配の女性が胡弓を弾いていたんですよ。「不思議な音色だなあ。まだ仕上がっていないような、胸がざわざわする不思議な楽器」というのがその時の印象。「宝石の原石のよう」そんな思いがして、この音に取り憑かれました。それから、胡弓のプロというと数人しかいなかったうちのお一人に弟子入りしました。
宝石の原石をこの手で磨く、それが胡弓へのアプローチ
音色が仕上がっていない、それをこの手で仕上げるというのが私の胡弓へのアプローチであり、魅力です。世界中にある様々な楽器には、音として完成されたレベルにいってる楽器と、まだ未熟な形、まだ途上にある楽器っていうのが、それぞれあるんですね。その材質や形状から、これ以上ないくらいに仕上がった楽器は、例えば、バイオリン、ピアノ、それからフルートとか。オーケストラに使われているような洋楽器は、そういう最終の形になっているんですね。そう考えると、胡弓はまだ未熟な点が非常に多かった発展途上の楽器、なんですね。そんな胡弓を、美しい音色で素晴らしい楽器に仕上げたのが「おわら」の歴史ではありますよね。
おわら風の盆が行われる富山県八尾町へ何度も足を運んで研究をしたという音人さん。おわら胡弓との関わりから、おわらが担った歴史的な位置づけについてお話をうかがった。
おわらが胡弓に与えた功績は非常に大きい
最初は、2002年。おわら胡弓の名人として謳われていた伯育夫さんに逢いにいきました。僕を追っていたテレビの撮影と同時進行だったんですけども、色々と教えていただきましてね。「日本の胡弓という楽器において革命的な進化が起こっている」というのがその時の印象ですね。伯育夫さんから学んだことは、まず、駒の重さ。形状もそうなんですけど、駒は重さが重要なんですね。どうしたら美しい音色になるか?ということをずっと考え続けて、煤竹がいいだとか、2〜3枚張り合わせて削ってみたりとか、天麩羅にしてみたとか(笑)色々と実験をくり返して生まれたのが、あの形や厚み、そして重さということなんですね。
そして、さらには弓の改良。わずかにねじ曲がっているんですね。弓を握らなくても、毛だけが当たって滑り落ちる。握らなくても音が出るので、指先の表現がすべて伝わる。これはもう大発見なんですね。僕もオリジナルで弓を作りますが、おわらの形を再現するのに少なくとも3〜4年、20〜30本つくってやっとわかるようになった、ということろです。楽器の進化だけでなく、名だたる演奏家たちが独自のテクニックを磨きあげて、素晴らしい演奏技術を今に伝えていらっしゃる。おわら風の盆の演奏スタイルが、胡弓という楽器に与えた功績は、非常に大きいと感じました。現在のおわら胡弓は、形状や大きさから見れば、越中おわら節、そして、民謡を弾くうえでの完成形といっていいのではないでしょうか。
その一方、いろんな曲を弾こうと思うと音域の問題がでてくる。そのため、ジャンルによって形や大きさの異なる胡弓を使ったり、四弦胡弓があったりと、ひとえに胡弓といっても、様々なバリエーションがある。楽器としても、演奏方法としても、まだ発展途上というか、開発の余地があるところが、胡弓の魅力になっているんじゃないでしょうか。
研究者としての話題に興味は尽きませんが、プレイヤーとしての話も。多彩なステージを展開されている音人さんですが、自身の演奏ではどの胡弓をメインに演奏される?
楽器をたくさんつかって雰囲気を変える
一人でステージをやる場合は、曲にあわせて最適な胡弓を使っています。同じ楽器で弾いているとステージの雰囲気が変わらない。アッと驚かす何かっていうか、シーンが変わることがないと、聴いている人が別世界へ行けない。そのため、楽器をたくさん使って雰囲気を変える、ということをやっています。
先日も一人のソロで90分という演奏講演を行いました。この時は、風の盆の胡弓パートと石川さゆりさんの「風の盆恋歌」の組み合わせた編曲のソロで開始しました。この後、輪島塗器を使用した丸同大胡弓を使い、棒で胡弓のルーツのストレート弦の胡弓を奏で、ヤシの実銅の沖縄胡弓タイプの丸銅大胡弓で締めくくりました。
一曲ごとには、その曲の世界を作り上げることで観客を魅了することに全力を注ぎ、複数の胡弓を使い分けることで、単独公演を構成・演出します。
他の楽器と一緒につくるステージでは、最近一番多いのはね、この丸い胴の胡弓。この胴は、沖縄の椰子の実。表面に桐の木を張って、糸はスチール(苦笑)。。。糸に関しても色々と研究をして、絹が抜群に良いということは結論としてあるんですね。バイオリンやチェロの弦はもちろん、羊の腸なんかもを含めて何十回も弦を取り替えてわかったのは、特に高音域で綺麗な音が出るのは絹糸なんですね。
日本だけでなく、絹糸は「シルクロード」の楽器の原点なんですけども、今はみんな絹をやめてスチール。だからこそ、今も絹を使っている日本の胡弓はとても貴重なのですが、安定感だとか、屋外でやるという環境要因もあって、この楽器ではやむなくスチールを使ってます。あと、絹糸は低い音域で美しさが発揮されないですね。
実は、低い音域で絹糸の魅力を引き出すには、重い駒に変えたらいいんです。三味線で言えば、義太夫や浄瑠璃三味線の駒に鉛が入っているでしょ。鉛があることによって、低い音が綺麗に響くというルールは、実は胡弓にも当てはまる。僕はね、駒で低い音を出すために、駒に小さな重りを貼って調整しているんです。高温のちょっとうるさめなノイズもカットしてくれるということで、重りをつけた駒を使うことがありますねえ。
被災地での演奏や支援も活動の柱にされていますね。
被災地支援が活動のひとつの核
東日本の震災の後に僕が行ったのは、三週間と四週間目の間だったんですね。たまたまですが、あの地震があった10日後に、もともと予定していたリサイタルがあったんです。その時に集まった募金や、CDを買っていただいた収益を届けに行きったわけですが、遺体がそのまま埋葬されている場所で演奏したり、供養ですね。お経代わりに弾いてきました。そしたら母親がここに眠ってますからここで弾いていただきたい、という方がみえたりして、鎮魂で演奏してきました。震災の一年後にも行ったら「今日は法要で辛くて聴けない」って、最初は断られたんだけども、その後に電話があって「鎮魂のゆうべ」ということで胡弓を聴きたいとおっしゃっていただいて。そしたらみんな涙ながらに胡弓を聴いてくださった。胡弓が奏でる旋律は、祈りの音色であり、鎮魂の音色なんですね。これは三味線やバイオリンにはない、胡弓の力かと思います。
東日本大震災については、あわせて20回ぐらい、100カ所以上回って、その土地の素材を使って楽器にするというテーマで、松を使ったり、原発事故で帰れなくなった相馬の焼き物を胴体に使って胡弓を作り、作った胡弓を地元に寄贈したりしました。今後も被災地支援というのは、僕の活動のひとつの核になると思います。
もと教師だった音人さんの胡弓教室は人気で、15年以上通い続けるファンも。教室の現状と今後の目標は?
胡弓はすごい可能性を持っている
今通ってくれている生徒さんは30数名ぐらいかと思います。長い生徒さんで、15年ぐらい通ってくれてますね。最初は童唄からはいって、ポップスや歌謡曲とか、最近だと朝ドラ「東京ブギウギ」をやったりと、非常に幅広いですね。その人がやりたいという曲があればやるし、僕がプログラムを出す場合もある。自由です。
胡弓は日本の伝統楽器の中で一番、表現の可能性を秘めている。それは初めて出会った時の直感からずっと変わらない。種類が多彩で、それぞれがすごい可能性をもっている。その可能性を広げ、その魅力を演奏で伝えるアーテストである日々を、これからも積み重ねていきます。
基本情報
石田音人(いしだねひと)・1957年8月13日・静岡県焼津市出身
問い合わせ・電話09029230479(石田)・メールsound3459@yahoo.co.jp
■教室情報
名古屋市西区中小田井のスタジオ・工房で個人教室、天白区と小牧市で集団教室